※ソウル新聞の元記事(韓国語)
70年間無視した韓国軍慰安婦300人… 「過去の歴史に直面したときに」
https://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20200625500200
“‘韓国軍慰安婦’悲劇向き合ってこそ日歴史わい曲防いで”
https://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20200626025025
2020年6月26日、韓国・ソウル新聞は「70年間目を背けられてきた韓国軍慰安婦300人…『つらい過去史に直面する時』」との題する記事を掲載した。
記事は、漢城(ハンソン)大学社会学科のキム・グィオク教授への取材内容を伝えている。
1996年から韓国軍慰安婦問題を研究しているキム教授は、「日本軍慰安婦は、韓国軍慰安婦という別の痛ましい歴史につながった。日本軍将校出身の韓国軍将校らは、同族とも戦わなければならない軍人らに日本軍慰安婦制度をそのまま適用した」と主張し、「韓国政府は韓国軍慰安婦というつらい歴史について真相調査し謝罪する時。自国民に対する責任を果たしてこそ、日本に対しても日本軍慰安婦問題のことをより堂々と発言することができる」と訴えたという。
記事によると、朝鮮戦争は1951年の5・6月から戦線が現在の休戦ライン付近に交錯して長期戦が始まった。これを受け、韓国軍は戦線から少し南に離れた地域に公式に「特殊慰安隊」を設置した。
韓国軍慰安婦の規模は軍の公式記録から推算でき、ソウル3個小隊と江陵(カンヌン)3個小隊に約128人の韓国軍慰安婦がいたとされている。キム教授は「これに春川(チュンチョン)、原州(ウォンジュ)、束草(ソクチョ)などの慰安婦と、53年にソウルに追加された4個小隊を合わせると、韓国軍慰安婦は約300人と推定される」と説明したという。
キム教授が2002年に研究結果を発表すると、当時キム教授が在職していた学校を通じて韓国の大統領府と国防部から「圧力」が掛けられたという。
同紙の取材に対しても、陸軍関係者は「韓国軍慰安婦の真相調査をしたことはない。これまで記述された内容のほかに具体的な史料や資料がなく、事実確認が難しい」とし、「犠牲者の慰霊事業などについては、現在のところ計画していない」との考えを示したという。
これについて韓国のネット上では
「おぞましい過去」
「朝鮮王朝時代にも似たような記録がある。これは日本だけじゃない。(慰安婦問題は)古代から現在まで存在してきた。戦争は恐ろしいもの」との声をはじめ、
「日本のせいばかりにはできない」
「事実を認め、反省し、真実を明らかにすべき。恥を知ってこそちゃんとした人になれる」
「まずは韓国がしっかり謝罪していこう。そうしてこそ日本に堂々と要求できる」
と呼び掛ける声が多く上がっている。その他
「それでも日本の謝罪責任は消えない」
「民間人の虐殺、韓国軍慰安婦など日本軍を引き継いだ韓国軍将官らをみんな罰して」
などの意見も寄せられている。
2020年6月29日(月) 13時20分
https://www.recordchina.co.jp/b816715-s0-c30-d0127.html
※元記事機械翻訳抜粋
しかし、軍が村を奪っ駐留していた束草は違った。束草住民と駐留していた米軍ポールペンチョは「視聴近くにあった軍慰安婦の前に陸軍が並んでいる場面を注意深く見た。これらの袋の外に出られず、昼はご飯と洗濯などの仕事を奴隷のようにして、夜は性的搾取をされた」と証言している。
慰安婦は一般兵士が「弾丸受け」をするという不満を鎮めるための「第5補給品」だった。高位将校は北から連れてきた10代後半から20代前半の女性捕虜を「畳」としましたが、兵士たちがこれを良くボリバルもなかった。拉致された北側の女性や、北朝鮮軍が占領した当時夫役た罪で女性が慰安婦に動員された。ギムグィオック漢城大社会学科教授は「若い将校は一般兵士に君たちも北から女性を連れてのように悪いことをしているという認識を植え付けてうとした」と解釈する。
効果はすぐに現れた。蔡命新将軍の回顧録「死線を越えて越えて」は、このような部分が出てくる。「当時、私たちの軍隊は士気高揚のために、60人を1個中隊とする元部隊3、4つを運用していた。ための予備部隊に陥りだけ社団リクエストによってすべてのユニットは、元の袋を利用することができる。5連帯も予備通り陥ることも前から将兵たちの話題は、すべての元部隊件だった。… … 私たちの連帯は慰安婦代戦場で勇敢に戦って功を立てた順番にチケットを配ってくれた、装飾を受け取った場合は優先順位を与えた。 “
韓国軍慰安婦の陸軍と将校たちの記録
韓国軍慰安婦の規模は群公式記録を使用して推定することができる。1956年陸軍本部が後方支援業務を発展させるために「後方戦士(人事編)」を出版して、特殊元台を記録したからだ。ソウル1個小隊と江陵3個小隊(79人)と呼ばれる記録やソウル3個小隊と江陵1個小隊(89人)を以下の表に総合すれば、ソウルの3つの小隊と江陵3個小隊に約128人の韓国軍慰安婦があった。キム教授は「ここに春川、原州、束草などの慰安婦と1953年ソウルに追加でインストールされ、4つの小隊を合わせると、全国婦は約300人と推定される」と説明した。

▲1952年の特別な元の実績統計表
」後方戦士(人事編)」の1952年の特別な元の実績統計表をギムグィオック漢城大教授がまとめた表。
キム教授を提供する。
また、「後方戦士」の「特殊慰安台の実績統計表」によると、ソウルと江陵の4大小隊で慰安婦89人が1952年だけで20万人を超える兵士を「元」した。単純計算すると慰安婦の一人が一日平均6人以上の兵士に性搾取をされたものである。小隊別に見てみると、ソウル第2小隊(中区初動105番地)がその年の8月に1人の慰安婦が相手にした軍人の数が月平均269.6人(一日8.7人)で最も多かった。1952年4月と8月に江陵第1小隊(江陵ソンドクミョンノアムリ)で30人の慰安婦が1人当たり月平均266.7人(一日8.6人)を「元」した。1954年3月になってようやく、特殊元代なくなった。
キム教授は「これらの職業の女性ではなく、ほとんど拉致された女性」と主張する。目撃者が「装飾していない非常に若い女性に見えた」と証言して、一北派工作員はキム教授に「自分が住んでいた村で女性を拉致してきた」と言ったからである。高リ・ヨンヒ教授も1988年の最初の出版した自分の回顧録「歴程」で「洛山寺周辺のOPで兵士たちの動物的欲求を解消させる銀貨を施したが、兵士一人が自分の故郷で流れてきた女性に会って涙にぬれていた」と書いた。
複数の証言者の紹介でキム教授は韓国軍慰安婦と推定される女性を探した。彼らは「私は子供たちをキー焼いただけ」と見知らぬ研究者に泣きだけ吐き出した。ただし、当時の医学生だったチョン氏は、国軍に反逆者に集まっ慰安婦になるところだったと述べた。避難を持つなかった学生と人民軍を治療したという理由からだ。チョン氏は「○○女子大だ。○○女子中学生であると、すべて共産主義者に集まっ銃殺された。国軍は、私たちを人民軍に捨てられた残渣にいた。友達3人と私は部隊の将校4人に割り当てたが、兵士(夫)の要請で抜けた。(別れた友人3人には)想像に任せる。釘極めた話は胸に付着したままの管に入ろうとする」とした。
(以下略)
記事・コメント抽出元
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1593406612/-100
国内のことは確か時効じゃなかたけ
相手が日本だと戦争犯罪に時効なしとか裁判所が言い出すけど
記事概要
韓国・ソウル新聞が韓国軍慰安婦について記事を掲載
日本軍将校出身の韓国軍将校が、日本の慰安婦制度をそのまま適用
日本に対し慰安婦問題で堂々と発言するためにも、韓国軍慰安婦というつらい歴史を謝罪しなければならない
軍関係者は「これまで調査したこともない。具体的な資料もなく事実確認が難しい」
管理人コメント
日本の慰安婦制度をそのまま韓国軍慰安婦制度にしたというが、韓国軍が慰安婦にたいしてやったことを日本軍が慰安婦にやったことにしているのではないか
疑惑というか私の心証では真っ黒だけどね
元記事の機械翻訳読んでみても「奴隷のように扱い性的搾取」「女を拉致してきた」などなど、彼らが日本に対して言っていることをやってる
とりあえず調査することは反対しないけど、日本に対して強く言うためという動機は不純だと思うぞ
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